「恋ヶ窪」の地名の由来 

諸説があるようです。ごく簡単に書きます。

1、「峡が窪」・・・狭い窪地、読みの「かいがくぼ」が「鯉が窪」になり更になまって「恋ヶ窪」
2、窪地の湧き水に鯉を飼っていた料理人の鯉料理がうまかったことから評判になり、「鯉ヶ窪」更に「恋ヶ窪」
3、武蔵国府がちょっと離れたところにあり、国府をとって「国府ケ窪」、訛って「恋ヶ窪」
4、この地がにぎやかな宿場であり、色里もあり遊女、恋のイメージから「恋ヶ窪」
5、平安末期、この地の清廉潔白な坂東武士・畠山重忠と遊女・夙妻太夫(あさづまだゆう)の悲恋物語から「恋ヶ窪」
・重忠が主君・源義経の命に従って平家追討のため西国に出兵しているとき重忠に横恋慕していた別の遊女が夙妻太夫に畠山重忠は戦いで亡くなったと嘘を言ったため信じた夙妻太夫は悲嘆にくれてとうとう「姿見の池」(西恋ヶ窪にある)に身を投げて死んでしまう。

5の由来が、恋ヶ窪の地名の(多くの人々の願いが込められた)イメージとしてはふさわしいような。

※LIVING多摩等のサイトを参考にさせていただきました。

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