羽村取水堰と玉川上水

   
   
   
多摩川  玉川上水への放流 
   
 羽村取水堰と玉川上水  羽村取水堰と玉川上水(現在:新宿御苑付近まで続く)
 
   
玉川庄右衛門・清右衛門兄弟の像   
 江戸に飲料水、生活用水を運ぶのに一番最初に造られたのが神田上水で、1590年大久保忠行の指揮によって井の頭池の水を水源とした神田上水が開削され当時の江戸市民の飲料水、生活用水として大いに役立った。
(2019年正月、NHK「正月時代劇の「家康、江戸を建てる」前編で放映される。感動的なドラマでした。)

 江戸の発展に伴い人口が多くなると飲料水、生活用水の不足が生じたため、新しい上水路の開削が模索され約60年後新しい上水路として玉川上水が造られた。
1653年、羽村の取水堰から江戸(新宿の四ッ谷大木戸)までの43kmに掘割(玉川上水)が玉川庄右衛門・清右衛門兄弟の指揮の下、造られ、多摩川の水が江戸に運ばれ江戸市民の飲料水、生活用水として使われた。
 さらに関東平野への分水路として野火止用水、千川上水等も造られ江戸の農業に大いに役立った。
兄弟は幕府から恩賞として「玉川」の姓と200石を下賜された。

 羽村堰の堤と玉川上水の堤の桜並木は有名です。

        (※羽村市観光協会のサイト、Wiki等を参考にしました。※取水堰はしゅすいせき と読む。水を取り込む堰)

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