1枚目、バー、スナック、居酒屋が軒を連ねている。ここの風景気に入っています。2、3枚目、ビジネスホテル、違う目的で使う人が多いとか。4~7枚目はハミングロードパルサ(旧栄町通り商店街)沿いの風景、6枚目の木はたぶんハンミズキのような気がします。芽吹き始めています。  ※1番上のモノクロとカラーの写真は1枚目と数えます。
昔の銀座を歌った「東京の花売り娘」(S24年)を思い出します。

”青い芽を吹く 柳の辻に 花を召しませ 召しませ花を どこか寂しい 愁いを含む 瞳いじらし あの笑くぼ  ああ 東京の花売り娘”

1950(S25~S34)年代に千葉駅周辺の戦後の戦災復興都市計画に伴う区画整理事業が行われた。鉄道も複雑な経緯をたどって移転、駅名改称が行われた。

★昔JR千葉駅は国鉄時代、1963(S38)年まで、ハミングロードパルサ(旧栄町商店街)の奥(6枚目の写真では右奥)、千葉市民会館(JR千葉駅から北東800m)の辺りにあった。旧栄町商店街は目抜き通り(中心道路)として賑わっていたとか。

旧京成千葉駅(現・京成千葉中央駅)も今の場所ではなく、今の千葉市中央公園あたりにあった。1958(S33)年に移転、両駅の移転に伴い両駅に囲まれた栄町エリアの商業施設、商店も移転、閉店したため、跡地、空き店舗に、ソープランドなどの性風俗店、夜の飲食店(キャバレー、大衆酒場、スナック、バー・・・)が続々進出して栄町エリアが一大風俗、歓楽街と変貌を遂げていった。

ソープランド街で全国屈指の浅草の吉原、川崎の堀之内、岐阜の金津園 などが遊郭、花街の跡地に発展していったのとは成り立ち方が違うようだ。

旧京成千葉駅は複雑な経緯をたどっている。
 旧京成千葉駅(現・千葉市中央公園付近にあった)→現京成・千葉中央駅の場所に移転→千葉市民会館(JR千葉駅から北東800m)の辺りにあった旧国鉄の千葉駅が現在地に移る→その隣に新たに1967(S42)年、京成・国鉄千葉駅前駅を作る→1987(S62)年、京成・国鉄千葉駅前駅の名称を京成・千葉駅に改称→それに伴い旧京成・千葉駅を現在の京成・千葉中央駅と改称する。   
※(外房線のJR本千葉駅が絡んでいますが、複雑すぎてわかりにくいので省略します) 

index   home  back    next

 (C) Katumasa Ohbayashi