▲歴史・古典コーナー(第16回)
大和朝廷14 「大津皇子・大伯皇女」(3)

☆歌われた順に、順番を変えて短歌の解釈をしました。

大津皇子、竊(ひそ)かに伊勢の神宮に下りて、上り來ましし時の大伯皇女(おおほくのひめみこ)の御作歌(みうた)二首 (大伯皇女の弟の大津皇子の安否を気遣った短歌)
※大津皇子が密かに伊勢神宮の斎王を務めている唯一の肉親である姉の大伯皇女に会いに行った時、大和へ帰って行く弟を見送る時、歌った二首。題詞の「竊かに」は持統天皇、草壁皇子側に無断で伊勢に行ったことを示している。或る意味、危険な伊勢行き。

※「 竊かに 」は禁じられていることを犯したとき使われることが多いとか、天武天皇の忌中に伊勢下向(約100キロ)はもっての外の禁忌を犯す行動に当たるようだ。伊勢神宮遥拝と大伯皇女のいる斎宮訪問は意味が違うが、大伯皇女に会う斎宮訪問目的の伊勢下向であっても伊勢神宮遥拝と取られてしまっても仕方がない。伊勢神宮と斎宮とは約10キロから13キロ(外宮、内宮)離れている。
     
わが背子(せこ)を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露(あかときつゆ)にわが立ち濡れし
<語釈>  
わが背子・・・「背子」は女性から男性を親しみを込めて呼ぶ言葉、「子」も親しみを表す。男性から女性へは妹子、妹背、「わが背子」の対語は「吾妹子(わぎもこ)」になる。
大和へ遣ると・・・大和へ帰しやろうと さ夜・・・「さ」は語調を整える接頭語
暁露・・・明け方の露 長い時間立ち尽くして見送り続けたことがわかる。  
濡れし・・・「し」は過去を表す「き」の連体形、余情余韻が出る。 長い時間立ち尽くして衣が明け方の露に濡れそぼってしまった。

(訳) わが大切な弟を大和へ帰しやろうとして、夜が更けてずっと立ち尽くして、明け方の露にひどく濡れてしまったこただ。

ふたり行けど行き過ぎがたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ
<語釈>
ふたり行けど・・・二人で行くのでさえ 行き過ぎがたき・・・行き過ぎるのが難しい
いかにか・・・どのようにしてか  ひとり越ゆらむ・・・ひとりで越えていらっしゃるのか

(訳)二人で行くのでさえ行き過ぎにくい(難儀な)秋の山を一人でどのようにして貴方は越えていらっしゃるのでしょうか。

二首とも危険が迫っている弟の安否を胸が締め付けられる思いで心配する姉の大伯皇女の痛切な哀しみの情が素直な表現を通して詠む者の心を打つ。

大津皇子が姉の大伯皇女に会いに行ったのはどうしてか?幾つか解釈されている。
ア、自分の悲運を嘆きつつ、抹殺されるかもしれない不穏な状況を察した大津皇子が唯一の肉親である姉の大伯皇女に最後の別れを言いに来た。
イ、斎宮である姉の大伯皇女に謀反の吉凶を天照大御神にお伺いをさせ、更には戦勝を天照大御神に祈ってもらうためにやってきた。
エ、大津皇子が大伯皇女に会いに来たことはなく、二人の境遇、心情に共感した後代の人の創作で、歌は仮託歌である。(万葉集以外資料が見当たらない等)

大津皇子、みまからしめらゆる時、磐余(いはれ)の池の堤にして、涙を流して作りましし御歌(みうた)一首 (謀反が発覚して捕らえられ、刑死直前の歌)

百伝(ももづた)ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

※大津皇子が刑死される時、磐余(いはれ)の池の堤で歌った辞世の和歌
<語釈>
百伝ふ・・・磐余にかかる枕詞、八十(ヤソ)、五十(イソ)、三十(ミソ)等に係る、ここでは五十(イソ)の関連から磐余のイ音に係る。 
※九十九は何と読むか? 「つくも」と読みます。語源はツギ(次)モモ(百)、パソコン量販店の九十九電機(今はヤマダ電機に事業を譲渡)が思い浮かびます。
今日のみ見てや・・・今日を限りに(最後に)見てか  ヤは疑問の係助詞
雲隠りなむ・・・雲隠るは貴人の死を表す、昇天した魂が雲に隠れる意味。「なむ」は推量を表し、ここでは死んでいくのであろうかの意味。
磐余の池・・・奈良県磯城郡に古代にあったされている池。

(訳)磐余の池に鳴く鴨を今日を限りに(最後に)見て、死んで行くのであろうか

慣れ親しんだ生の象徴としての池の鴨をじっと見、鳴き声に耳をじっとすまして、死に赴く大津皇子の孤独な悲痛な心の叫びか聞こえてくるような歌、悲愁、哀切感にあふれた挽歌の傑作。

疑問点1、「雲隠る」は貴人の死の敬避表現で自身が自分に言うのはおかしい点と「百伝ふ」の後代性の点などから仮託歌ではないかの説があります。 (「万葉の虚構」所収「謀反ー大津皇子の悲劇を中心として・・・・近藤信義」)
疑問点2、日本書紀と万葉集での刑死場所の相違 日本書紀→「皇子大津を訳語田(をさた)の舎(いへ)に賜死(みまからし)む。」
万葉集→「大津皇子、みまからしめらゆる時、磐余(いはれ)の池の堤にして」(題詞)

大津皇子かむあがりましし後、大來皇女(おおほくのひめみこ)伊勢の斎宮(いつきのみや)より上るときの御作歌(みうた)二首

神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましを何しか來けむ君もあらなくに
<語釈>
神風の・・・伊勢にかかる枕詞  あらましを・・・いたらよかったものを
何しか來けむ・・・何しに来たのであろうか  
君もあらなくに・・・弟の皇子も生きていないのに 来たことが無駄だったことを強調している

(訳) 伊勢の国にいたらよかったのに何しに来たのであろうか、弟の皇子も生きていないのに

見まく欲(ほ)り吾がする君もあらなくに何しか來けむ馬疲るるに
<語釈>
見まく欲り吾がする・・・「吾が見まく欲りする」と同じで、私が会いたいと思っている
馬疲るるに・・・馬が疲れているのに 来たことが無駄だったことを強調している

(訳) 会いたいと思っている弟の皇子がいないのに何しに来たのであろうか、馬も(私も)疲れるばかりだったのに

二首とも不穏な情勢を感じ、弟が生きていることを願い懸命に馬を駆ってやってきたのに、既に弟が処刑されていたことを知った時の落胆、悲しみ、悲痛な叫びが自責の「何しか來けむ」によく表現されている。


大津皇子の屍(かばね)を葛城の二上山」に移し葬(はふ)る時、大伯皇女の哀しび傷む御作歌二首

うつそみの人なるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を兄弟(いろせ)とわが見む
<語釈>
うつそみの・・・ 「現しおみ」のつまった語で、現実の世に生きている
二上山(ふたかみやま)・・・奈良県北葛城郡当麻村にある山、北の雄岳と南の雌岳の二峰からなる。大津皇子の屍を二上山の雄岳に移葬(本葬の墓)した。
われや・・・「や」は疑問を表す係助詞、詠嘆の意味もこめられている。
兄弟(いろせ)・・・親しみをこめて弟を呼ぶ言葉、「いろ」は同母を表す。「せ」は女性から親しみをこめて男性を呼ぶ語。「わが背子を大和へ遣ると」の歌を参照してください。

(訳) この世の人である私は、明日からは二上山を親しい弟だと思って見ることだろうか(見ることにしよう)。

※弟が埋葬されている二上山を弟と思うことで、何とか弟がいない悲しさ、寂しさ、辛さ に耐えようとする大伯皇女の哀れさが素直な表現から伝わってくる。


磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折(たを)らめど 見すべき君がありといはなくに
(右一首、今案(かむが)ふるに、移し葬(はふ)る歌に似ず。けだし疑はくは、伊勢の神宮より京に還るとき、路のへに花を見て感傷哀咽してこの歌を作るか)
<語釈>
磯・・・岩の多い海岸、湖などの水辺や単に岩の多い場所。
馬酔木・・・アセビとも読む。春にブドウのような房状に壺型の小さな白い花がたくさん咲く。有毒植物で字のごとく馬が食べると中毒を起こす。清楚で可憐な花。ほのかないい香りがする。大伯皇女が大津皇子にプレゼントしようとした素敵な花です。写真載せました。

   
 H11(’99)、4、28  羽村市富士見公園、リコーR10


※後の註で万葉集の編集者が移葬時の歌としてはふさわしくないと疑問を呈しているが、日本書紀によれば謀反が発覚したのは冬十月とあるので、馬酔木は咲いていないので、誤解があったようだ。本葬の墓に移し終わって翌年の春に歌ったと解釈すれば問題ないのではないか。

見すべき・・・見せるべき、見せたい
ありといはなくに・・・ 弟が生きていると人々が言わないことだ→弟はもういないことだ

(訳) 磯のほとりに生えている馬酔木を手折ったところで、見せるべき弟はもういないことだ(もうおられるとは人が言わないことだ)

春になり馬酔木の花が咲いているのを見ても、馬酔木の花が好きだった弟がもういない今、手折ったところで仕方がないと嘆く大伯皇女の寂しさ、悲しさ、切なさがひしひしと伝わってくる歌。

主な参考文献:「日本書紀上-日本古典文学大系」(岩波書店)、「日本書紀(3)-新編日本古典文学全集」(小学館)、「懐風藻 文華秀麗集 本朝文粋-日本古典文学大系」(岩波書店、「万葉悲劇の中の歌―金子武雄」(公論社)、 「万葉の虚構ー古文芸の会」(雄山閣)、「万葉のふるさと-清原和義」(ポプラ社)、「文芸読本 萬葉集-山本健吉編」(河出書房新社)、「萬葉百歌-山本健吉、池田弥三郎」(中公新書)、「文法全解・万葉集・大久保廣行」(旺文社)、「新明解・万葉集、古今集、新古今集」(三省堂)、「万葉集選釈・尾崎暢殃」(加藤中道館)「愛とロマンの世界-万葉の歌ひとたち-伊藤栄洪」(明治図書)他

この回で大和朝廷は終えて、歴史・古典コーナーはこの回でしばらく休止します。来年また勉強して再開できればと思っています。今勉強しているのは、延喜式祝詞、梁塵秘抄、閑吟集、堤中納言物語などです

index   home  

(C) Katumasa Ohbayashi