1~3枚目、千住大橋(せんじゅおおはし):日光街道(国道4号線)で、足立区千住橋戸町と荒川区南千住六丁目を結ぶ橋。江戸時代の文禄3年(1549年)に隅田川第一番目の橋として、現在の橋よりやや上流に初めて造られた。その後、幾多の改築、改修を経て、関東大震災の復興事業の一環として、昭和2年(1927年)に現在の橋が造られた。昭和48年に交通量増大のため、下流側に隣接して新橋が造られた。(写真右側)名前の由来は、文字通り隅田川(当時は大川)に架かる大きな橋、その後、第2橋の両国橋を大橋と呼ぶようになり、頭に千住がつけられた。江戸時代、奥州街道への出発点として重要な橋であった。松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭、「千住といふ所にて舟をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそゝぐ。」は有名。自分には、千住に長く住んでいたので、懐かしい橋です。原付免許を取り立ての頃、ヤマハの中古バイクMR50で、夜、千住大橋を怖い思いをして渡ったのを覚えています。3径間連続鋼箱桁橋

4、5枚目、尾竹橋(おたけばし)、尾竹橋、現在の橋は平成4年1992年に新しく改築架橋、尾竹橋通り(足立区の伊興町~千住桜木と町屋~台東区根岸をなぐ)を通す。名前の由来は、尾竹の渡しに因む。もともとはお茶屋の渡しと呼ばれていたが、お茶屋に尾竹さんという女性が働いていたことから命名されるようになったとか。「千住のお化け煙突」の袂にあり、煙突がよく見える場所としてよく写真、映画(「煙突の見える場所」「東京物語」)の撮影場所、被写体として記録に残している。
自分には懐かしい橋(旧橋)で小学3年の時初めて東京に来た時、渡った橋で、橋近くに住んだことがあり、大学時代の4年間はこの橋を渡って町屋から京成線に乗って通学していました。3径間連続ローゼ桁橋  ※ローゼ橋はアーチ橋の一種 

関連事項 、街11-6、7のメモをそのまま転載します。
「千住桜木にある尾竹橋の袂から望む墨田川。左端には東京電力千住火力発電所、愛称お化け煙突がありました。四本煙突ともいわれ、見る角度、位置によって、煙突同士の重なり具合から1本から4本に見えたところから、或いは時々思い出したように巨大な煙突から黒い煙を吐くことからお化け煙突と命名されたとか。
建設:1925年 大正15年1月、廃止:1964年 昭和39年2月。「煙突の見える場所」「東京物語」等の映画で全国的に有名になりました。次のページに登場する旧・元宿小学校の校庭から見たお化け煙突はそれは巨大でした。風の強い日は、静かに揺れていたのを思い出します。煙突の清掃、塗装作業員の方が豆粒のように見えたのを覚えています。高さ83、8メートル、直径4、5メートル。」(街11-6)

「千住桜木:亡き父が働いていた木工会社跡地。子供の頃は、夕方食堂のテレビを見に行ったり、休日には運搬用トロッコに乗りに行ったり、寒い日は木を乾かす大きな乾燥室にあたりに行ったりと、よく遊びに行ったものでした。30代半ば頃までは毎年暮れに会社で搗いた餅を千葉県流山の実家まで、バイクで運ぶのに、ホンダのCB250T(ホーク)やカワサキのZ400に乗って会社まで行ったのを覚えています。(まだ足立に住んでいた頃) 
更地と団地に変わってしまっていたのにはびっくり。前のページでふれましたが、奥の白い建物が旧元宿小学校校舎、その奥にお化け煙突がありました。芭蕉の「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」や杜甫の「春望」がふと心に浮かんできます。」(街11-7)
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